薄毛で一番もったいなかった時間って、いつだったかなと考えることがあります。
薬にかけたお金でも、通院の手間でもない。
「まだ大丈夫」と思いながら、何もせずにビクビクしていた時間。あれが一番もったいなかったなと。
なんであんなに心配してたのか、自分でもよくわからないんですけど、じわじわ削られていた日々でした。
「まだ大丈夫」で、ずっと先延ばししてた
抜け毛が気になりはじめた頃。僕、動きませんでした。
いや、正確に言うと、動けなかった。
「まだ大丈夫だろう」「気のせいかもしれない」「そのうち落ち着くはず」。そう自分に言い聞かせて、先延ばしにしていたんです。
治療という選択肢は、頭の片隅にはあった。でも、認めるのがこわかった。病院に行った瞬間、「お前はハゲです」と確定される気がして。
だから、見て見ぬふりをしていた。鏡の前で、都合のいい角度からだけ髪を見て、「うん、まだいける」って。
今思えば、あの「まだ大丈夫」が、一番あぶなかったんです。
排水溝とドライヤーのたびに、青ざめていく
でも、見て見ぬふりって、続かないんです。
現実は、毎日突きつけてくるので。
お風呂で頭を洗う。排水溝を見る。抜け毛が絡まってる。「うわ」となる。
体を拭いて、ドライヤーをかける。風で舞う抜け毛が、洗面台にパラパラ落ちる。それを見て、また「うわ」となる。
これが、毎日なんです。朝と夜、確実に来る。
しかも、日を追うごとに、その「うわ」が重くなっていく。最初は「ちょっと多いかな」だったのが、「これはやばいんじゃ」に変わって、そのうち排水溝を見るのがこわくなる。
抜け毛を見るたびに、少しずつ青ざめていく。心臓がぎゅっとなる。あの感覚、経験した人ならわかると思います。
僕がまさにそうでした。排水溝とドライヤーが、毎日僕を追い詰めてきた。
心配してる時間が、一番しんどかった
ここで気づいてほしいのが、この時期の僕、まだ何もしていないということ。
治療も始めていない。ただ「まだ大丈夫」と言い張りながら、毎日抜け毛を見て青ざめていただけ。
つまり、一番しんどかったのは、治療のしんどさじゃなくて、何もせずに心配だけしていた時間だったんです。
行動していないから、状況は何も変わらない。変わらないまま、不安だけが毎日積み上がっていく。出口のない部屋で、ずっと落ち込んでいる感じ。
薬の副作用とか、費用とか、そういうことでビビっている場合じゃなかった。何もしていない今この瞬間が、メンタル的には一番きつかったので。
先延ばしって、ラクなようで、実はずっと消耗し続けます。
今になって振り返ると、あの時期の思考って、けっこう歪んでいました。
まず、都合のいい情報だけ探す。「気のせい」「一時的」みたいな言葉を検索して、それを見つけて安心する。そして翌日また不安になって、また検索する。
次に、確認と回避を同時にやる。抜け毛は毎日チェックするのに、病院には行かない。知りたいのに、知りたくない。
そして、期限をずらし続ける。「もうちょっと様子を見て、それでもダメなら行こう」。この「もうちょっと」が、何ヶ月も更新されていきました。
自分では冷静に判断しているつもりだったんですけど、実際はただ決断を先送りしていただけで。
こういう状態って、たぶん薄毛に限りません。歯医者とか、健康診断の再検査とか。こわいものほど、人は先延ばしにする。
ただ、AGAの場合は待っている間も進むので。そこが厄介なところです。
AGAは「ゆっくり」進むから、油断する
調べていて、なるほどと思ったことがあります。
AGAの進行は、けっこうゆるやかなんだそうです。目安として、5年かけて1〜2段階進むくらい。年単位でじわじわ、と。
これ、実は厄介なところだなと思いました。
急に一気に来るなら、誰でも慌てて病院に行きます。でも、ゆっくりだから「まだ大丈夫」と思えてしまう。昨日と今日を比べても、違いなんてわからないので。
そして、もうひとつ大事な特徴が。ゆっくりだけど、自然には止まらない。
自然に良くなることは稀、とはっきり書かれていました。つまり「そのうち落ち着くはず」という僕の期待は、根拠のない願望だったわけです。
ゆっくり進む、でも確実に進む。この組み合わせが、先延ばしを許してしまう。
早い段階で気づけた人がうらやましいと思うのは、こういうところです(20代で気づいた人への記録)。
「手遅れ」の基準を知って、考えが変わった
これは知っておいてよかった話です。
「手遅れ」という言葉、こわいじゃないですか。何年も放置した人は、もうダメなのかと思ってしまう。
でも、調べたら見方が違いました。放置した年数ではなく、毛包の状態で見るものらしいです。
毛包というのは、髪を作り出す器官のこと。AGAが進むとこれが徐々に小さくなって、最終的に働きを停止してしまう。この「ミニチュア化」の段階なら、まだ改善の余地は残っている、と。
逆に、完全に活動を停止した毛包を薬で再活性化させるのは、極めて困難だそうです。
つまり、こういうことですね。「何年放置したか」で諦める必要はない。でも、進むほど戻せる本数は減っていく。
だから「もう遅いかも」と思っている人は、まず確認したほうがいい。年数で自己判断するより、実際の状態を見てもらうほうが早いので(どこで診てもらうか決めた記録)。
動いたら、あの不安が止まった
で、僕がどうなったか。
耐えきれなくなって、思い切って病院に行きました(病院に行ってAGAとわかった記録)。恥ずかしさより、この毎日の不安から抜け出したい気持ちが勝ったんです。
そしたら、拍子抜けするくらい、あっさりでした。
先生に頭を見てもらって、「治療すれば抑えられますよ」みたいなことを言われて。その瞬間、ずっと張りつめていたものが、スッとゆるんだのを覚えています。
何より大きかったのは、「もう自分は動いた」という事実。
排水溝を見ても、前ほど青ざめなくなった。だって、対処しているので。抜け毛を見ても「今ちゃんと手を打ってるから」と思える。この安心感が、想像の何倍も大きかった。
先延ばししていた時間、あれは何だったんだと。もっと早く来ればよかった、と心から思いました。
早く動くほど、選択肢が多い
もうひとつ、調べていて腑に落ちたことがあります。
早く始めるほど有利、というのは、単に「守れる本数が多い」だけの話じゃないんですね。
毛包が元気なうちなら、薬だけで十分なことが多い。でも進んでしまうと、より強い治療や、費用のかかる方法を検討することになる。
つまり、早いほど選べる手段が多くて、しかも安く済む。遅くなるほど、選択肢が減って、コストが上がる。
これ、けっこう実利的な話だなと。「早めに」と言われると精神論みたいに聞こえますけど、実際には財布の話でもあるわけで。
迷っている間に選択肢が減っていく、と考えると、様子見のコストは思ったより高いなと思います。
今、排水溝を見てビビってる人へ
もし今、お風呂やドライヤーのたびに青ざめている人がいたら。
その気持ち、痛いほどわかります。僕もそうだったので。
でも、その「まだ大丈夫」で先延ばしにしている時間が、実はあなたを一番削っている時間かもしれません。
心配しているだけの毎日から抜け出すのに必要なのは、たった一歩。確認するだけでいいんです。
僕は、もっと早く動けばよかったと今でも思っています。だから、同じ時間を過ごしてほしくない。青ざめる毎日は、動けば終わります。
排水溝、こわいと思います。わかります。でも、そのこわさは、動いた瞬間から軽くなり始めるので。
心配している時間が、いちばんもったいなかった。長年やってきて、それだけは言えます。
最後にひとつ。
「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせているとき、人はたいてい大丈夫じゃないと思っています。
本当に大丈夫なときは、そんなこと考えないので。わざわざ言い聞かせている時点で、心のどこかでは気づいている。
僕がそうでした。だから、あの言葉が出てきたら、それは動くサインなんだと思います。
確認して「大丈夫でしたね」と言われたら、それが一番いい結果じゃないですか。損はしません。

