薄毛で失うものって、髪だけじゃないんです。
僕の場合、髪が減るより先に、行動のほうが狭くなっていました。
しかも、自分ではまったく気づいてなかった。なんでそんなことしてたのか、自分でもよくわかってないんですけど。
座る位置を、いつも選んでいた
思い返すと、いろんな場面で「座る位置」を気にしていました。
打ち合わせでも、飲み会でも、ちょっとした集まりでも。部屋に入った瞬間に、無意識にスキャンしてるんです。
上から見下ろされない席はどこか。照明が真上から当たらない場所はどこか。壁側なら背後から見られないな、とか。
とくにこわいのが、自分より背の高い人の隣です。立って話すとき、あの角度は完全に頭頂部が見えてる。だから、なるべく座って話せる場面を選んだり、少し距離を取ったり。
店に入るときも同じでした。ダウンライトが真上から落ちてくる席は避けたい。かといって、あからさまに席を選ぶのも変なので、さりげなく先に座ってしまう。誰かが「じゃあこっちに」と言えば、内心ヒヤッとする。
いい大人が、部屋に入るたびに座席を計算してる(笑)。当時は必死だったので、それが変だとも思っていませんでした。
前に出るのを、避けるようになった
もっとまずかったのが、これです。
人前に立つ場面を、避けるようになっていました。
何か発表する機会があっても、「他の人にお願いします」と引く。集まりで前に出る役があっても、後ろに回る。写真を撮るとなれば、端っこか後列。
理由は単純で、注目されると頭を見られるから。人の視線が集まる場所には、行きたくなかった。
でも、これが本当にこわいところなんです。やってる本人は、髪のせいだと気づいてない。
「僕、こういうの向いてないので」「他の人のほうが適任なので」。そう言って断ってるうちに、自分でもそう思い込んでいく。実際は、ただ頭を見られたくなかっただけなのに。
一回断るごとに、「自分は前に出るタイプじゃない」という自己認識が濃くなっていく。気づいたら、それが自分のキャラみたいになっていました。
髪が減った量より、こういう「引いた回数」のほうが、たぶん人生に影響してたなと思います。
誘いを断る回数も増えていた
もうひとつ、気づいたことがあって。
人と会う予定そのものを、減らしていました。
久しぶりの人に会うと、「変わったな」と思われるかもしれない。明るい店だったら地肌が目立つかもしれない。屋外だったら風が心配だ。
そんなことを考えているうちに、なんとなく「今回はいいや」と断ってしまう。理由は毎回それっぽく作るけど、根っこは全部同じでした。
とくに苦手だったのが、しばらく会っていない人との集まりです。最後に会ったときより確実に進んでいるので、その差を見られるのがこわい。「久しぶり」の一言のあと、相手の視線がどこに行くかを、勝手に想像してしまう。
一回一回は小さい判断です。でも、積み重なると、人と会う機会がじわじわ減っていく。世界が、静かに狭くなっていく感じ。
あのとき断った誘いの中に、行っておけばよかったものが、たぶんいくつもあったはずです。
髪より先に、行動が狭くなる
こうやって並べてみると、はっきりしてきます。
薄毛って、進行するより先に、行動のほうが狭くなるんです。
髪はまだ残っている。でも、座る位置を選び、前に出るのを避け、誘いを断る。「実際の薄さ」より、「気にしてる度合い」のほうが、行動を制限してくる。
しかも厄介なのが、この制限を自分で気づけないこと。誰かに止められてるわけじゃなく、自分で勝手に引いてるので。だから、それが習慣になって、性格みたいになっていく。
「僕は目立つのが苦手だから」。そう思い込んでいたけど、本当は苦手なんじゃなくて、頭を見られるのが嫌だっただけ。それに気づいたときは、そういうことか〜と、けっこう複雑な気持ちになりました。
たぶん、周りから見たら「消極的な人」だったと思います。誘っても来ない、前に出たがらない。でも、本人にそのつもりはない。ただ、頭のことで頭がいっぱいだっただけで。
その説明を誰にもできないまま、勝手に人物像ができあがっていく。あれは、地味にしんどかったです。
治療して、行動から戻ってきた
じゃあ、いつ変わったのか。
これが面白いところで、髪が完全に戻る前に、行動のほうが先に戻ってきたんです。
治療を続けて、ある程度守れているという実感が出てきた頃。座る位置を、そんなに気にしなくなっていました。前に出る場面でも、前ほど身構えない。誘いも、普通に受けるようになった。
髪はフサフサになっていません。今でも他の人より薄いかもしれない。それでも、行動は戻った。
つまり、僕を縛っていたのは「薄毛そのもの」というより、「何もしていない不安」だったんです。手を打っている、守れている。その感覚があるだけで、堂々としていられる。
これに気づいたとき、けっこう衝撃でした! 髪の量が変わらなくても、動けるようになるのか、と。
逆に言うと、何もしていない状態だと、どれだけ髪があっても不安なままだったと思います。実際、まだそこまで進んでいない頃のほうが、必死に隠していましたし。
行動が戻ると、その先で変わることもありました。
まず、人と会うのが単純に楽しくなる。頭のことを考えながら会話するのと、会話だけに集中できるのとでは、疲れ方が全然違います。帰り道のぐったり感が、なくなりました。
写真も、そんなに嫌じゃなくなった。撮られる瞬間に身構えないので、変な顔にならない(笑)
あと、これは意外だったんですけど、雑談で髪の話が出ても平気になりました。前はその話題になった瞬間に固まっていたのに、今は自分から「僕、治療してるので」と言えてしまう。
狭くなっていたのは行動だけじゃなくて、話せる話題の範囲も狭かったんだなと。地味だけど、この身軽さはありがたいです。
一番もったいないのは、狭くなった行動のほう
長年やってきて思うのは、これです。
薄毛で一番もったいないのは、髪じゃなくて、その間に狭くなった行動のほうかもしれない。
髪は、治療すれば守れる部分があります。でも、あのとき引いた場面、断った誘い、避けた機会。あれは、もう戻ってきません。
僕が「早く動いたほうがいい」としつこく言うのは、髪のためだけじゃないんです。(この話は「「まだ大丈夫」が一番あぶない」にも書きました)
悩んでいる期間が長いほど、その間ずっと、行動が狭いまま過ごすことになる。それが一番の損失だなと。
もしタイムマシンがあったら、あの頃の自分に言いたいことがあります。
その席、どこでもいいよ、と。
誰もそんなに見てない。みんな自分のことで精一杯だし、人の頭頂部を採点したりしていない。こっちが勝手に、全方位から見られてる気になっていただけで。
あと、前に出るのを断ったその役、やっておいたほうが後で効くよ、とも言いたいです。あのときは逃げられてホッとしたけど、今思うと、逃げるたびに何かを少しずつ手放していました。
でも、当時の自分に言っても、たぶん聞かないだろうなとも思います。だって、こわかったので。頭を見られるかもしれないという恐怖の前では、正論なんて役に立たないんです。
だから、説得するより、動くほうが早い。あのときの僕に必要だったのは、励ましの言葉じゃなくて、「手を打ってる」という事実のほうでした。
狭くなった行動は、少しずつ戻せる
ひとつ補足しておくと、行動って、一気には戻りません。
僕の場合も、ある日突然「よし、前に出るぞ」となったわけじゃないです。座席をあまり気にしなくなり、断る回数が減り、写真で端に寄らなくなり。そういう小さい変化が、ゆっくり積み上がった感じでした。
しかも、途中で戻ることもあります。抜け毛が増える時期は、やっぱりちょっと引っ込みたくなる。人間なので、そこは波があるなと。
大事なのは、その波に一喜一憂しないことかなと思っています。今日は引いてしまったな、という日があっても、次でまた出ればいい。長い目で見て、全体として前より動けていればいい。
そう考えられるようになったのも、続けてきたからだと感じています。
心当たりがある人へ
もし今、心当たりがある人がいたら。
座る位置を無意識に選んでいる。写真では端に寄る。人前に出るのを、なんとなく避けている。誘いを断る理由を、なんとなく探している。
それ、性格じゃないかもしれません。髪を気にしてるだけかもしれない。僕がそうだったので。
そして、そこから戻るのに必要なのは、フサフサになることじゃなかったです。「ちゃんと手を打っている」という感覚だけで、けっこう変わりました。
自分の頭の状態が気になる人へ、ひとつだけ言えるのは、動いてみると世界の見え方が変わるということです。じっとしてる間がいちばん狭かったなと、今なら思います。
今の僕は、部屋に入っても座席を計算しません。前に出る場面も、普通にこなせます。
昔の自分が見たら、けっこう驚くと思います。あんなに必死に隠れてたのに(笑)
髪の本数は、そこまで劇的に変わっていません。でも、動けるようになった。これが、続けてきて一番大きかったことかもしれないなと感じています。
髪を守るのは、行動を守ることでもある。そんなふうに思っています。

