40代になると、友人と会う頻度が減ります。
みんな仕事も家庭も忙しいので、年に数回とか、下手したら数年ぶりとか。
で、久々に会うと、いろいろ変わってるんです。腹が出たとか、白髪が増えたとか。そして、髪の量も。
誰にも言わないけど、たぶんみんな思ってること。
久々に会うと、変化に気づく
数年ぶりに会う友人って、変化がわかりやすいんです。
毎日会ってる相手だと気づかない。でも、間が空いてると、前の記憶と比べられるので。
「あれ、ちょっと痩せた?」とか「白髪増えたな」とか。そういうのが、会った瞬間になんとなくわかる。
で、髪も同じで。
前より髪がペタンとしてるな、と思うことがあります。40代なので、そりゃそうかという話でもあるんですけど。
もちろん、全然変わってない人もいます。フサフサのまま、何も気にしてなさそうな人。そういう友人を見ると、素直にうらやましい。何もしてないのに保ててるって、それはもう才能です(笑)
でも、変わってる人は変わってる。それが、この年代なんだなと思います。
そして、これは自分に返ってくる話でもあって。向こうから見た僕も、同じように「変わったな」と思われてるはずで。
お互いに、お互いの経年変化を見せ合ってる。同窓会って、そういう場でもありますね。
お互い、言わない
で、ここからが本題で。
気づいてはいるけど、絶対に言いません。
「お前、髪減ったな」なんて、口が裂けても言わない。当たり前ですけど。
向こうも同じです。たぶんこっちのことも見てるはずなのに、何も言ってこない。
お互い、見えてる。でも、触れない。
この暗黙の了解、なかなか独特だなと思います。腹が出たとか白髪が増えたとかは、わりと軽口で言い合えるのに。髪だけは、なぜか別枠。
たぶん、地雷だとみんな知ってるからですね。自分がそうだから、相手の痛みもわかる。だから触れない。
40代男性の、優しさというか、処世術というか。この距離感の取り方が、けっこう好きだったりします。
学生の頃なら、たぶん普通にいじってたと思います。悪気なく「お前ハゲた?」とか。
それが言えなくなったのは、みんなが当事者になったからですね。他人事じゃなくなると、人は途端に慎重になる。
歳を取るのも、悪いことばかりじゃないなと。
僕が治療してること、知られてるのに
面白いのが、ここで。
周りの友人は、僕がAGA治療をしてることを知ってます。隠してないので。
だから、聞こうと思えば聞けるはずなんです。「どこ通ってるの」「いくらするの」「効くの」って。
でも、向こうから聞いてくることは、ほとんどありません。
気になってないのか、聞きにくいのか。たぶん後者なんだろうなと思っています。聞いた瞬間、自分が気にしてることになるので。
「治療のこと聞く=自分もヤバいと思ってる」という図式が、頭の中にあるんでしょうね。あれ、僕にもすごく覚えがあります。
だから僕からも、言いません。「お前もやったら」なんて絶対に言わない。それは余計なお世話なので。
聞かれたら全部話す。でも、こっちからは踏み込まない。今のところ、そういうスタンスでいます。
ちなみに、唯一ガンガン話せるのが美容室の担当さんです。あの人も当事者なので、遠慮がいらない。
散髪中に薬の話や副作用の話で盛り上がって、鏡越しに二人で「結局飲むよね」と笑ってる。あれは貴重な時間だなと思います。
友人には言えないことが、他人には言える。不思議なものです。
治療しててよかった、と思う瞬間
こういう再会の場面で、思うことがあります。
治療しててよかったな、と。
これ、他人と比べて優越感に浸ってるという話ではありません。そういうつもりは全然なくて。
そうじゃなくて、「あのとき動いた自分」を思い出すんです。
20代後半でお風呂の排水口を見て青ざめて、恥ずかしいのを我慢して病院に行った。あそこで動いたから、今こうしていられる。
もしあのとき動いてなかったら、僕も同じように、ただ時間に流されていた可能性が高い。それを想像すると、ちょっとゾッとします。
あの一歩が、今の状態を作った。再会の場面で、それを実感する瞬間があります。
誰にも言いませんけど、心の中でひとりで噛みしめてる感じですね。
帰り道の電車で、ひとり「あのときの俺、えらかったな〜」と思ってる40代(笑)。字面にすると、なかなか痛いですけど。
でも、こういう小さい自己満足が、続けるエネルギーになってる部分は確実にあります。
気にしない、という選択もある
ただ、もうひとつ思うことがあって。
同世代って、けっこう落ち着いてるんです。
髪のことにあまり気をつかっていない人が多い。若い頃みたいに、髪型に必死になる時期を過ぎている。
それ自体は、悪いことじゃないと思います。むしろ、健全というか。
髪を気にしない人は、たぶん自然とそうなっていくんでしょうね。減ったら減ったで、そのまま受け入れる。短くする、坊主にする、気にしない。
実際、調べたら「治療費や時間を理由に対策をやめて、短髪や坊主にしたら精神的に楽になった」というパターンも多いそうです。
これも、ひとつの答えだなと。全員が僕みたいに治療する必要はないので。問題は、そこに納得があるかどうかだけかなと思っています。
自分で決めて、そうしてるなら何も言うことはない。むしろ、その潔さはかっこいいと思います。
僕は治療を選びました。でもそれは「治療が正しい」からじゃなくて、僕がそうしたかったからで。
選んだ道が違うだけで、上下があるわけじゃない。そこは、はっきりさせておきたいところです。
「仕方ない」で止まってる人もいる
でも、これも書いておきたくて。
「気にしない」と「諦めてる」は、似てるようで違います。
調べたら、AGAの発症率は20代で約10%、30代で約20%、40代で約30%、50代で約40%だそうです(日本皮膚科学会のガイドラインより)。年代とともに、じわじわ上がっていく。
そして、諦める理由として最も多いのが「治療費が高額だという思い込み」だ、と書かれていました。
思い込み、というところがポイントで。実際には、ジェネリックなら月3,000円台から始められるクリニックも増えている。ハードルは、昔よりずっと低くなっている。
つまり「高いから無理」と判断した時点の情報が、古いかもしれない。
納得して気にしないのと、誤解したまま諦めるのは、全然違います。前者はいいけど、後者はちょっともったいない。
それと、40代50代で進行していても「もう遅い」ということはない、とも書かれていました。ここも、諦める前に知っておいてほしいところかなと。
ただし、AGAが原因の場合、自然回復はほぼ期待できないとも書かれていて。何もしなければ、ゆっくり確実に進んでいくのが大半、と。
「様子を見る」という選択は、実質「進むのを見守る」ということになる。ここは、けっこう厳しい現実だなと思います。
それでも、僕からは言わない
とはいえ、です。
だからといって、友人に「治療したら」なんて言うつもりはありません。
髪をどうするかは、その人が決めることなので。気にしない自由も、放っておく自由もある。よかれと思って言った一言が、相手の一番痛いところを刺すことだってあるので。
それに、僕自身が言われる側だったらどうかと考えると。
たぶん、素直に受け取れなかったと思います。悩んでる時期に「治療すれば」と言われても、「わかってるよ」となるだけで。
だから、聞かれるまで待つ。それが、僕なりのやり方です。
このブログを書いてるのも、たぶん同じ理由で。押しかけて言うんじゃなくて、探しに来た人が見つけられる場所に置いておく。そういう距離感がちょうどいいなと思っています。
久々に会う予定がある人へ
お盆とか、年末とか。同世代と会う機会がある人へ。
もし、久々に会った友人を見て「あれ」と思ったら。その気持ちは、たぶん向こうも同じです。お互い様なので。
そして、そこで自分の頭のことを考えてしまったなら。それは、ちょっとしたサインかもしれません。
人の変化に気づくということは、自分の変化にも気づいてるということなので。
気になったなら、動くのは早いほうがいいです。40代なら、まだじゅうぶん間に合います。「もう遅い」は、たいてい思い込みなので。
費用も、想像してるより安いかもしれません。
そして、もし友人が治療してるなら、聞いてみてもいいと思います。たぶん、喜んで話してくれるはずなので。僕がそうなので(笑)
実際、聞かれると嬉しいんです。せっかく長年やってきた経験があるのに、話す機会がほとんどないので。
「待ってました!」くらいの勢いで語り出す自信があります。うざがられない程度に、気をつけますけど。
誰も言わないから、ひとりで抱えることになる。でも、聞いてみたら意外とみんな考えてた、なんてことは普通にあります。
言わないのが優しさの場面もあるし、聞くことで前に進む場面もある。そのへんは、まあ、その場の空気しだいで。
今年のお盆も、僕は誰の髪のことも言いません。聞かれたら、全部話しますけど。
最後にひとつ。
久々に会った友人を見て感じることって、たぶん相手への感想じゃなくて、自分への問いなんだなと思います。
「あいつ変わったな」の裏側には、必ず「自分はどうなんだろう」がある。鏡を見せられてる感覚に近い。
だから、その瞬間にモヤっとしたなら、それは友人の問題じゃなくて自分の問題です。
そこで動くか、流すか。どっちでもいいんですけど、選んだという自覚だけは持っておきたいなと思っています。

