昔の僕は、鏡がこわかったんです。
薄毛が気になっていた頃、自分の頭を直視するのが、本当にしんどかった。
治療を長年続けてきて、髪の状態も少しずつ変わってきたんですけど。振り返って一番大きかった変化は、実は毛の量じゃなくて、「鏡を普通に見られるようになったこと」でした。
今日は、その地味だけど大きな話をします。
ドライヤーの時間が、こわかった
一番しんどかったのは、お風呂あがりです。
髪を乾かすとき、ドライヤーの風で髪が分かれるじゃないですか。あのとき、地肌が見える。濡れた髪だと、余計にはっきり見える。
あれが、こわくてしょうがなかった。
だから僕、ちゃんと乾かさずに、半乾きのまま布団に入っていた時期があるんです。地肌を見たくなくて。ドライヤーを当てる時間そのものが、苦痛だった。
今思えば、濡れたまま寝るのは頭皮に一番よくないんですけど。当時はそんなことを考える余裕もなくて、ただ「見たくない」の一心でした。
鏡を見るのも同じ。洗面所の鏡、電車の窓、スマホのカメラ。自分の頭が映る可能性があるものを、無意識に避けていた。ふと映り込むと、その日一日、気分が沈むので。
逃げた結果、頭皮に悪いことをしていた
これ、あとから調べて反省したところです。
濡れた髪のまま寝るのは、頭皮にとってかなり良くないそうです。
まず、湿った状態が続くと雑菌が繁殖しやすくなる。かゆみや炎症の原因になることもある、と。
それに、濡れた髪はとても傷みやすい。その状態で枕とこすれると、キューティクルが剥がれやすくなるそうです。
つまり僕は、薄毛を見たくないという理由で、髪と頭皮に悪いことを毎晩やっていたわけで。
見たくないから逃げる。逃げた結果、状態がもっと悪くなる。今考えると、なかなかひどい悪循環でした。
不安なときって、こういう判断をしがちです。目の前のつらさを避けることを優先して、その先のことが見えなくなる。
鏡を避ける生活は、地味に消耗する
鏡を避けるって、地味にずっと気をつかうんです。
洗面所では、なるべく上から自分を見ない。エレベーターの鏡は見ない。ショーウィンドウに映る自分も、目に入れないようにする。
無意識のうちに、そういう「見ない工夫」を積み重ねている。
そして、たまに不意打ちで見えてしまうと、ダメージを食らう。心の準備ができていないところに、上からの角度で頭頂部が映ったりすると、「うわ」となる(上からの角度に悩んだ記録)。
自分の一部なのに、直視できない。この状態って、けっこうしんどいんです。毎日、自分から目を逸らして生きているようなものなので。
当時の僕は、それが普通だと思っていました。でも今振り返ると、あれはかなり消耗する生活だったなと。
避けるのは、わりとよくあることらしい
これ、僕だけの話じゃないみたいです。
調べたら、薄毛によって自尊心が低下して、新しい人間関係や社会的な場面を避けるようになる場合がある、と書かれていました。
髪は社会的に「若さ」や「魅力」と結びつけられているので、薄毛になると老化への不安や、他人の評価に敏感になることがある、と。
鏡を避けるのも、たぶんその一部かなと。自分の評価を下げる情報を、無意識にシャットアウトしている。
でも、こういう記述もありました。臨床レベルのうつ病や不安症を発症する割合は、AGAのない人と比べて大きく増えてはいないという研究結果もある、と。
つまり、多くの人が感じる苦痛は、深刻な精神疾患まではいかないことが一般的。ただし個人差はかなり大きくて、若い人や、容姿が自己評価に強く影響する人の場合は、深刻になることもある、と。
このバランスの取れた書き方が、僕にはしっくりきました。「大したことない」でも「みんな病んでいる」でもなく、人による。そういうことなんだなと。
いつのまにか、普通に見られるようになった
で、いつ変わったのか。
これが、はっきりした「その日」があるわけじゃないんです。
治療を続けて、生活も整えて、それを長年積み重ねて。ある日ふと気づいたら、鏡を普通に見られるようになっていた(周りに気づかれた日の記録)。
きっかけは、些細な瞬間でした。昼休みに洗面所でふと鏡を見て。「あれ、前はこれ、目を逸らしてたよな」って。
その瞬間、じわっときました。避けていたものが、いつのまにか避けなくてよくなっていた。
何が変わったのかというと、たぶん髪の量だけじゃありません。フサフサになったわけじゃないので。
「ちゃんと手を打っている」という感覚が積み重なって、自分の頭を見ても平気になった。守れているという実感が、直視する勇気をくれたんだと思います。
今は、ドライヤーもちゃんとかける
今は、お風呂あがりにちゃんと乾かしています。
分け目から地肌が見えても、「まあ、こんなもんか」で済む。あの頃みたいに固まることはなくなりました。
そうなると、髪にもいい。しっかり乾かせば雑菌も繁殖しにくいし、寝ている間の摩擦ダメージも減る。
見られるようになったら、ケアもできるようになった。この順番、けっこう大事だなと思っています。
逃げているうちは、ケアもできません。だって、見ないんだから。状態を把握しないまま、対策なんて打てるわけがない。
向き合えるようになって初めて、まともに手入れができるようになった。そういう意味でも、鏡を見られるようになったのは大きな変化でした。
これも変化のひとつです。
昔は、家族にも頭を見せたくありませんでした。「どう?」なんて聞けない。答えが返ってくるのがこわいので。
今は普通に聞けます。「後ろ、どんな感じ?」って(妻に直接聞いてみた記録)。
うちの場合、お世辞を言わないタイプなので、多いときは「今日すごいね」とはっきり返ってきます(笑)。でも、そのほうがありがたい。
自分では見えない部分を、遠慮なく教えてもらえる。これって、向き合えるようになったからできることかなと。
避けていた頃は、家族の視線すら気になっていました。今は、確認要員として頼りにしている。同じ人、同じ関係なのに、こっちの状態が変わるとこんなに違うのかと思います。
数字より、これが一番の変化だった
治療の成果って、つい「増えたか減ったか」で語りがちです。写真とか、本数とか。
でも僕にとって、一番大きかったのは数字じゃありませんでした。
鏡の前で固まらなくなったこと。ドライヤーが苦痛じゃなくなったこと。エレベーターで自分を見ても平気なこと。
毎日のこの小さいストレスが消えたのが、何より大きい。だって、鏡って毎日見るものなので。1日に何回も来るストレスがなくなるのは、生活の質としてかなりの変化です。
髪が何本増えたかは、実のところよくわかりません。でも、鏡がこわくなくなったのは、はっきりわかる。
これが、僕にとっての一番の成果でした。
鏡がこわい人へ
もし今、鏡を避けている人がいたら。
その気持ち、痛いほどわかります。僕もずっとそうだったので。
ただ、避けているだけだと、状況は変わりません。しかも、僕みたいに濡れたまま寝るとか、逃げるための行動が、かえって髪に悪いこともある。
そして、一番しんどいのは「見たくないのに、毎日見えてしまう」という状態です。あれは、逃げても終わりません。
終わらせるには、動くしかない。
自分の頭が今どういう状態なのか、逃げずに向き合うだけでも、だいぶ違います。他人に見られるのがこわい気持ちもわかりますけど、向こうは毎日見ている人なので、こっちが思うほど何とも思っていません。
鏡を普通に見られる日は、ちゃんと来ます。しかも、フサフサにならなくても来る。
僕の場合がそうでした。数字が劇的に変わったわけじゃないのに、鏡はこわくなくなった。だから、あきらめないでほしいなと思います。
最後にひとつ。
鏡がこわいのは、鏡のせいじゃありません。映っているものを、自分がどう受け止めるかの問題で。
だから、変えるべきは鏡の映り方じゃなくて、自分の状態と気持ちのほう。角度を工夫したり、照明を避けたりしても、根っこは変わりません。
遠回りに見えても、髪そのものに向き合うのが、結局いちばん近道でした。鏡がこわい毎日から抜けるための道が、そこにあったので。
今日も僕は、普通に鏡を見て、普通にドライヤーをかけます。これができるだけで、けっこう幸せです。

